Rubyの思い出話。10年以上前のこともあるのでもしかしたら記憶違いな部分もあるかもしれない。
自分とRubyの出会いはたしか2007年頃でなんらかのWebの記事で知ったのがきっかけだったと思う。あまり細かいことは覚えてない。
当時、自分が書いたことのあるプログラミング言語はCやPHP、Javaなどで仕事でもPHPとJavaを書いていた。初めてRubyを書いたときはこんなに読みやすく書きやすい言語があるのかと驚いたことを覚えてる。
それからどうしてもRubyを仕事で使いたくなってしまった自分は、所属していた会社を辞め、Rubyが使える会社に転職することにした。2年も勤めていなかった会社だったので当時の上司にちょっと渋い顔をされてしまった。
その頃はRubyの求人はほとんどなかった。あまり細かいことは覚えてないがRuby on Railsを採用しているスタートアップを見つけ、メールを送ってみたら会ってくれるとのことだったので会いにいき、そして採用してもらった。
面接ということでたしかスーツで行った気がするが、行った先はワンルームマンションの一室で、迎えてくれた社長がすごいラフな格好だったのですごいびっくりしてしまった。
その会社は自社サービスの運営と受託をやっており、ほとんどRuby on Railsで開発をしていた。Railsのバージョンは1.2とかだったと思う。RubyもRailsも未経験だったので本を片手間に仕事をし、徐々にRailsを身に付けていった。
その会社でしばらく働いていく中で、とある会社に出向する機会を得た。永和システムマネジメントだ。その出向をきっかけにRubyコミュニティやアジャイルコミュニティとのつながりができた。
Rubyコミュニティとつながるきっかけができてからは、勉強会やローカルコミュニティに顔を出したり、RubyKaigi(当時は日本Ruby会議だった)の当日スタッフやレポート班などやったりしながら、様々な人と知り合うことができた。
自分の今までの人生でいくつか大きなターニングポイントがあったと思っているが、Rubyをやるためにスタートアップに転職をしたこと、出向先が永和システムマネジメントだったこともそのひとつだ。当時、きっかけを作ってくれた人達や、お世話になった人達にはとても感謝している。
これまでのエンジニア人生について自分はかなり運が良い方だと思っている。大学を中退して大した経験もなかった自分が、今ではRubyを書きながら世間一般からするとそれなりにゆとりのある生活を送れている。大学を辞めるときは朝起きれないから辞めるぐらいの感じで、本当に何も考えていなかったので一歩間違えてたらもっと厳しい生活を送っていたかもしれない。
今こうしているのは上に書いた以外にも様々な巡り合わせがあったからだが、端的に言えばRubyコミュニティのおかげなんだと思う。