オレがブログを書く理由
まめこの「車輪の再発明だとしても記事は書くべき」に反応してみる。「記事をかくべき」というのには非常に同意。
じゃあ、なぜ「かくべき」なのか。それは人それぞれになると思うけど、オレがブログを書く理由を簡単にまとめてみたのでよければ参考にしてほしい。
ブログは自分の為に書く
基本的にブログは自分の為に書いている。あまり他の人に役立つかどうかとか、誰か似たようなこと書いてるだろうなとかは気にしない。思考のツールとしてのブログ
文章を書くということは、ある程度自分の思考を整理することになる。別にこれだけならブログでなくとも、ノートや日記帳、テキストファイルやローカルなWikiでもいい。けれど、公開してるブログにはそれらにない特徴がある。不特定多数の人に見られるということである。
不特定多数に見られるということは、少なくとも自分が「人にみせてもいい」と思えるレベルになるまで文章を推古することになる。その過程で自分なりになるべく客観的に文章を判断しようとする。そうすることで今迄とはまた違った視点で物事を考えられるわけだ。
また、不特定多数から何らかの反応(コメント、トラックバック、etc)があった場合、それはローカルな環境での記録ではなかなか得られないものだ。自分のノートに書いといただけでは、誰もそれについて考えるといったことはしない。
最大の読者は自分
当たり前の話だけど、過去の自分に会うことはできない。もちろん、昔に自分がどんなことを考え、どんなことをしていたのか覚えてるとも限らない。人は忘れる生き物だ。けれどブログに記事を書いておけば、その記事を見にいくことによって擬似的にだけど当時の自分と会うことができる。過去の自分は全くの別人なのではないかと思う時もある程、思考の違いに驚くことがある。過去のエントリと現在の自分の思考の違いから学ぶことも多いものだ。
ある一定以上、ブログを続けているとそのうちデータベースとして機能するようになる。自分が何を考え、何に悩んでいたのか。そしてどんな行動をしてきたのか。それらが記録されているブログは後に貴重な財産となるはず。
コラボレーション
各人のアウトプットが1つのコラボレーションを生むことがある。最近の例で言えば、1981sがそうなのではないかと思う。ゆーすけべーさんが発案し、amachangが呼び掛ける。実はあまり詳しい経緯を追ってないので間違ってたら申し訳ないけれど、少なくともゆーすけべーさんが記事をかかなければ1981sが存在しなかったのは確か。
1981sに限らず、誰かがブログで言いだしたのがきっかけで生まれたものはたくさんあるんじゃないかと思う。